留学生との共同生活 ー 序章
ここしばらく、思い出話モードになっているので、その流れで大学時代の思い出をつらつらと。。。
シリーズで行こう。
親の反対を押し切って医学部に入学したまでは良かったものの、経済的には、ヒジョーに厳しい状況で、入学直後より毎日お金のことばかり考えて暮らしていた。
奨学金制度の利用もいくつか検討したんだが、応募する前にあえなく敗退。
実家に書類の記入に両親の収入の欄があることを伝えたら、「うちは無理よ」で終わり。共働きの両親は低所得者層には残念ながら(?)該当しなかった。。。
さらに、追い打ちをかけたのが、高校の頃の成績。
暗黒時代の最終章は、目も当てられないほど悲惨な状況だった。
「成績優秀でありながら経済的に困窮している学生を支援する」奨学生の条件には、何一つ該当しなかったわけだ。
というわけで、自力で生きていく以外に私の道はなかった。
アルバイトの記事でも書いたが、検査センターでのアルバイトが見つかり、何とか生きていく希望が見えてきた。
住まいは自治寮。すなわち学生が自分たちで運営する寮であり、寮母さん等、世話をしてくれる人が一人もいない。その分、寮費はタダ同然。
ラッキー♪ と、最初は思った。思ったんだけれど、甘かった。。。
文化系中心で成り立つ自治寮は、とにかく行事がスゴイ。しょっちゅう会議、月一回の寮上げてのどんちゃん騒ぎのお祭り。理科系学生は必ず留年する、というジンクスが囁かれていたが、あれだけ遊び回れば、そりゃそーだろー。大学って学ぶところじゃありませんでしたっけ???
ドイツ語のテスト前日は夜通しの寮生全員参加の会議。。。単語帳を持って参加したが、もう涙目だった。
ただでさえアルバイトで時間がないのに、寮で生活を続けたら発狂するに決まってる。一体私は何のために医学部に入学したんだ!? いつ勉強すればいいんだよ?
これはもう、最初から7年計画で行くしかないか? 最初に2~3年間、とにかく稼ぎまくって大金ためてアパートに引っ越すとか。。。しかしなあ、年齢がこれ以上上がるのはなぁ。
捨てる神あれば拾う神あり。
留学生会館というありがたい場所があることを偶然知ることになった。
そこに日本人も住めるという話じゃあーりませんか。寮費と比べると会館の費用は格段に高い(と、その時は思った)。19,000円だったっけ。この値段は当時の私には手が届かない高級マンションなわけだが、しかーし、日本人の場合、留学生達の手助けをする、という仕事と相殺されて、寮費とあまり変わらない値段で入れるんだって、お得な情報ゲット。
「ここだ! ここしかない!」と、そう思った。
逆に「ここに入れなかったら、私の医学部生としての生活は成り立たない」ほど切羽詰ってた。
で、トントン拍子に話が決まって、1年生の夏休みに、留学生会館に引っ越すことになった。
圧倒的勢力を誇る中国人を始め、韓国、フィリピン、インドネシア、インド、タイ、その他多くのアジア諸国を始め、日系南米人(アルゼンチン、ブラジル、ペルーなど)、そして、米国、コスタリカ、エジプトなど私たちとは明らかに顔つきが違う方々。
年齢も様々で、一人で来た人もいれば、夫婦で、あるいは子供連れの家族と、それはそれはバラエティに富んだあらゆるヒトビトが一つ建物の中で、仲良く暮らす場所、それが留学生会館だった。ここで日本人は男性一人、女性一人の、圧倒的マイノリティ。おっと、管理人さん夫婦も日本人だった。
というわけで、次回から、留学生会館での珍事件。。。様々な思い出を、順不同でつらつらと記して行きたい。