おっさん化したおばさんの独り言

おっさん化したおばさんのとりとめの無い独り言です

狂気と正気の狭間で その1

今回の記事は、重いです。気分が落ち込んでいる人は、どうぞ読まないで。

 

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十代の頃から、何かと大切な場面で私の前に立ちはだかり行く手を阻んできた(と、私が感じていた)母が、白血病を発症した。見捨てるわけにも行かず、かと言って優しくもできず、私の心はまるでジェットコースターのようなアップダウン。今に始まったことではないとは言うものの、母の精神状態に振り回される何とも落ち着かない状況が続いていて、それでも何とか現在はいい方向に向かっている(?)。母を失ったあと、私の気持ちがどちらの方向に動くのかさっぱり予想がつかないけれど、今は、何も考えず、母と一緒に戦っていきたいと思っている。

 

できれば、なるべく明るい情報をお伝えすることを心がけて行きたい(けど、重い)。

 

私は精神科医ではないし、ましてや肉親の事なので、多分に憶測と偏見が含まれる。そこを差し引いて読んでいただきたいが、母娘の関係で悩んでいる人のうち、一部の人に対し、小さなヒントの一つでも提供できれば幸いである。

 

親子の確執についての書物は今や世の中に氾濫していて、体験記もとても多い。私もかなりの数を読んできた。あんな家庭環境の中でよく著者は生き延びて来られたな、と思うほど壮絶な人生を歩んだ人も実際に存在するし、そういう個人的な事情をさらけ出してくれてありがとう、という気持ちでいっぱいである。身近な人への影響を考えると「書く」という行為は大変リスキーである。

泣きながら読んだ書物も多い。学術的な書物であれ、個人的な体験記であれ、泣きながらでなければ読めない、という状況は、読んでいる本人が苦しみの渦中にあるという一つの指標ではないだろうか。悩んでいなければ、医師やカウンセラーなどの専門家は別として、まずは、あえてそういう書物を多数手に取ることをしないだろう。

初めは読むのが苦しくても、次第に、自分の中にどっかと腰を下ろしてアレコレ変な指示を出してくる親を追い出し、自分を客観視できるようになってくる。そこまでが第一段階。実際には、本を読むだけでなく、カウンセリングを受けながら自分の過去を振り返る作業をした。そして、時間はかかるが、やがて親の事も客観視できるようになる、、、かもしれない。ただし、必ずしもできなくてもいいと思っている。自分の将来をいい方向に持っていくこと、配偶者や子がいるなら、その関係を良好に持っていく努力をすること、それが何より大切であるはずだからだ。

 

親のことを理解したいと心の奥底で願いながらも、残念ながら実現しない事もあるだろう。あるいは、理解したくもないと思う人も多いと思う。それはそれでいいと思う。

 

親子の関係は無数にあって、それぞれが特別であり、多くの愛憎の物語がある。命がけで逃げるべき状況もあるだろう。過酷な状況下にある人に対して、特に、まだ親の監督下にある人に対して、私は「とにかく生き延びてください」としか言いようがない。

 

そういう前置きをした上で、息苦しさを感じながらも、それでも比較的恵まれた状況下にあった者の体験談として参考にしていただければいいと思う。

 

 母が白血病を発症してから、私は「義理」で母に優しくしてきたけれど、それは何とか母の事を客観的に理解したい、という都合の良い思いからだった。愛する親に対して、というよりも、タイマーのついた観察対象者として接してきた気がする。最初はとてもぎこちなかった。母に接しながらそういう冷めた自分に対し、罪悪感もあり、同時に強烈な自己嫌悪感(自分自身に対する恐怖心、という方が妥当かもしれない)もあった事を告白する。母がおかしかったのではなく、本当は私自身がおかしいのではないか、そんな思いがして身の置き所がなかった時もあった。どちらも異常なのか、どちらか一方が異常なのか、それとも、二人とも正常なのか。。。

様子を伺いながら、もしも可能と判断される時があれば、私自身の幼かった頃の本音の一部なんかも伝えられないか? というかすかな希望もある(認めてもらいたくて必死だったんだって事だけ)。ちょっと無理そうだけど。

 

完璧主義、潔癖症、高いプライド、敏感、猜疑心、両極端な人物評価(高評価は非常に少ない、突然高評価から最低の人物に反転することあり)、競争主義、狭い許容範囲、母を表すキーワードを並べるとこんな感じだろうか。

どういう家庭環境で私が育ってきたか、上の一文だけで、わかる人にはわかっていただけると思う。ちなみに、母はきちんと出世の階段を上り定年退職まで勤め上げた生粋のウーマンリブ代表格である。

 

母の狂気は、過度な「不安」と「恐怖」に原因があった。不安から逃れるため、母は私を支配すると同時に私に強く依存してきた。老後を他人に頼るわけにはいかない。だからこそ、私が10代の頃から老後の面倒を看るのは娘の役割と教育してきたわけだ。

私は幼い頃から結婚に憧れた事がなく、また、うすうすと多分結婚させてもらえないんじゃないかと感じていた。私が医学部に行きたい、と母に初めて言った時の「アンタは親を捨てる気ね!」という、怒気を含んだあり得ない反応は、母の心の本質が凝縮されたものに他ならなかった。

その後、母はその理由を変更した。一つは「婚期を逃す」というもの。もう一つは、経済的な理由。

一つ目はあり得ない理由だった。だって、母は私を嫁に出すなんてつもりはサラサラなかったのだから。実際、私が28歳の時、母の前で正座をし頭を下げた男性に母は微笑みながら「御冗談がお上手ですのね」と答えその場を立ち去った。母は私を奥に呼んで「ふしだらだ」と言った。当時、私のお財布にあと3万円入っていたなら、あるいは、そのこと(お財布の中がカラであること)を相手に伝える勇気があったなら、全く違う人生を送っていたかもしれない。

健全な母娘関係を築くためには、この時に私が母に背を向けるべきだったのかも知れない。時機を逸すと難しくなる事は世の中にいろいろある。

 

33歳と言えば卵巣機能もピークを過ぎる頃。そんな私に声をかけてくれた優しい男性がいた。最後のチャンスと思っていたが、母は猛反対。結婚の条件は、「旧帝大出身、安定した職業、市内在住(ここで言う市内は私の居住地ではなく当然実家。当時280km離れた所に住んでいた)、相手の両親共に死去していること、親との同居」であった(人は親を亡くして初めて親の大切さを実感するもの、自分の親を亡くしていれば配偶者の親を大事にするだろう、というのが母の言い分だった)。私と結婚すれば、こんな母親がもれなくついてくるなんて、どれだけ相手に申し訳ないだろうか。適当な理由をつけてお断りした。親の反対を押し切っての結婚を相手に要求するほどの若さは当時の私にはなかった。

 

ところが、その3か月後、母の考えが反転する。どうやら誰かからチクリと言われたらしい。「30過ぎても結婚していない人は、大抵はその親に原因がある」と。カチンときたわけだ。そして、さっそく勝手に縁談を持って来たが、ロボットじゃあるまいし、そんなに簡単に気持ちが切り替えられるわけがない。一度お会いしてお断りしたら、どれだけわがままなんだと怒鳴られた。母の思考回路は全く理解の範囲を超えていた。

 

私は36歳で結婚した。単にラッキーだったんだろう。

 

仕事では大きなチャンスを見事に逃してきた。母は「いい話」ほど気が狂ったように必死になって潰しにかかった。私はいつも途方に暮れた。

 

勇気を出せば手に入れられたであろう別の世界。覗いてみたかったとは思うが今さらどうしようもない。一方で、「すっぱい葡萄」の寓話ではないが、この年になると、今の穏やかな生活も悪くないと思えるようになってきた。それからもう一つ、今となっては母にはもう私の生活を引っ掻き回すだけの余力がない(私にもそうさせるつもりがない)ことが、母をほんの少し優しく見守ってあげられる余裕になっているのだと思う。・・・と言っても私の年齢を考えると十分に遅すぎるんだけど。

 

後悔していないと言えばウソになる。仕事上、私に救いの手を差し伸べてくれた優しい方々に不誠実であった事を振り返る時、私は申し訳ない気持ちでいっぱいになる。期待を裏切ってきた。自分に与えらえたミッションを放棄したようにも感じている。当時、八方塞がりで行き場がなかったように感じていた。本当は私自身が弱かっただけだ。母がどんなに反対しようと自分のやりたい事を貫けばよかっただけなんだけど、母を傷つける勇気がなかった。医学部に行かせてもらったから、今度は私が我慢する番だって、変な理屈なんだけど、今思えば自分の人生を放棄してたんだ。自分の人生のハンドルを母に握らせて、うまく運転できるはずなんてないのに。電柱にぶつけたり、池の中に突っ込んだり、デタラメな運転になった。

 

結婚については、結果論ではあるが、ぎりぎりの年齢(出産を考えると)だったけど、いい人で運が良かった。

どんな嫁姑問題に悩まされるのだろうと危惧していた。全くの杞憂だった。

姑の「ゆっくりしなさい」は、最初は私を試している言葉だろうと思っていた。そうではなく、本当に「あなたもみんなと一緒にゆっくりくつろいで」と心から言ってくれていたのだと気づいた時の驚きと言ったらなかった。こんなに暖かい家庭が世の中には本当に存在するのだと。

 

一方で主人にしてみたら、私と結婚して災難だったかもしれない。私が優柔不断だったから。娘の家庭に平気で口を出す母を拒むことができずにいた時期があった。軸がぶれて長い間申し訳ない思いをさせてしまったと思っている。

 

 

 

 

つづく