おっさん化したおばさんの独り言

おっさん化したおばさんのとりとめの無い独り言です

狂気と正気の狭間で その2

担当医師から厳しい説明を受け、死期を間近に感じるようになって、その不安と恐怖に押しつぶされるであろうと心配していたのに、意外にも母はしっかり耐えている。これまでの母からは想像できないほど、鷹揚に構えている。

冷たかった娘が、ぎこちないとは言え優しくなった事、病気の手強さを知って逆に「わからない」不安から解放されたこと、あるいは、私を母自身の延長ではなく、他人として見ることができるようになったこと(憶測だけれど)、など複合的な理由が考えられる。死の恐怖よりも疾病利得が上回っているだけなのかもしれない。

 

治療のレジュメに使われた大量のステロイド、不眠には悩まされていたようだが、一方で、多幸感の恩恵も受けた。今までにないキャラクターを見て驚いたと同時に嬉しかった。楽しそうな顔、おどけた顔、笑い声、薬剤によって引き出されたとは言え、そういうキャラクターがどこかに眠っていたはずである(ちなみに、ステロイドが抜けてからしばらくは、その反動が続いた)。

そういう幸せな顔を見た時、もっと早い段階で母を苦しめ続けた(そして私も少なからず振り回されてきた)不安、恐怖を軽減させてあげられなかったものかと思った。

 

医師でありながら、母の境界性人格障害(Borderline Personality Disorder :BPD)を見抜くことができず、長年放置してきた。書物を頼りに診断するならば、母は高機能型境界性人格障害だったと言える。患者さんを診る時には、精神構造までそれなりに把握できるというのに、自分の親に対してはそれができなかった。むしろ、10代の一番苦しかった時期に、母の異常性を一番理解していたように思う。約10年間、母から離れて過ごした事で、適当にガス抜きができた私は、母を「多少神経質で愛情が強すぎた困った母親が年を重ねて精神的にも成熟してきた」と捉えた。実はほとんど変わっていなかった。手元から一旦手放した子供をどうやって手元に引き戻すか、母は私の性格を知り尽くしており、自分の思うように操るのは簡単な事だった。

結局、私の人生、実に長い期間を母の影響を受けながら(逃げているつもりが結果的には全然逃げきれていない)生きてきたことになる。もしかしたら私自身も一時期BPDだった可能性がある。

 

さて、BPDについての書物であるが、今の流行りは、その周囲にいる人々にスポットを当てたものが主流である。そのような困った人といかに付き合うか、いかに逃げるか、いかに対決するか、といった。

BPDの人に振り回されて困っている人達がどれだけ多いかという事なのかも知れない。そして、実際に、対処法としてはとりあえず役に立つ事が書いてある。

 

しかし、そういう本をいくら読んでも払拭できない何かが私の中にあった。これは根本的な解決なんだろうか、という事だ。他人ならいい。面倒に巻き込まれないよう上手にすり抜けていく事は処世術としてはとても大事だろう。

 

BPD本人はどうなのだろう。本人の不安や恐怖心は放置したまま? 

 

いつだったか、母が呟いた事があった。

「私はどうして人が気が付かないような些細な事に気が付いてしまうんだろう。鈍感な人が羨ましい。気づかずに済むなら、こんなに苦しい思いをしなくて済むのに」

 

BPDは、「身体の表面を覆う皮膚がない」と表現される事がある。知覚神経がむき出しになっていて、物が当たったり冷たい風が吹いただけで、普通の人の何千倍という苦痛が彼らを襲う。感受性が強いと言えば聞こえがいいが、程度問題である。アレルギー体質の心理バージョンと言ってもいいかも知れない。スギ花粉にアレルギーのある人はスギ花粉の時期になると大変な事になる。アレルギーのない人にしてみれば花粉が飛んでるかなんて全くわからないというのに。花粉症の症状は一目瞭然だが、心の中の事は外からちっとも見えないからなかなか他人に理解してもらうのは難しいだろう。

ちょっとした言葉に母から予想だにしない反応が返ってきていたのには、ちゃんと理由があったのだ。母にしてみれば強すぎる刺激を振り払う反応だったに過ぎない。一方、何もわからない子供だった私は、母の反応に混乱するばかり。本当にいい迷惑だった。

 

BPDは人口の2%、50人に1人という人数の多さである(文献により、また年齢により差がある)。本人はきっと周囲が思っている以上に苦しんでいるに違いない。プライドの高さから「助けて」と言えない。自分に自信がないから子供に服従を強いる。そして、恐らく、辛い過去を持つ。

不完全な人間が必死に子育てをしてきた(もちろん完全な人間なんていない)。方向が間違っている事に気づかず、子供を傷つけ、自分が傷つく。思うようにならないからパニックに陥る。それでも他人に相談できない。負のスパイラル。

頑張れば頑張るほど北風は太陽になれない。ベクトルの方向が間違っている事を早い段階で誰かが、あるいは社会が教えてくれれば、親も子も共に救われるのに。

 

Borderline Personality Disorder を検索してみると、米国ではそれなりの数の機関がその治療やサポートに力を入れているのがわかる。もう少しすれば、日本でももっと積極的なBPDへの取り組みが一般的になるのではないかと期待している。同時に、BPDについての知識と、教育や治療により障害自体を克服できるのだということが理解されれば、BPDに対する偏見も減り、医療機関への敷居ももっと低くなり、無用な苦労(本人も周囲も)を避けられるのではないかと思う。

 

最後に、一か所だけであるが、米国の医療機関での取り組みを紹介したい。

下に 示したホームページでは、BPDに苦しむ人達の生の声を聴くことができる。日本語版がないのが残念であるが(当然と言えば当然だが)、頑張って彼らの声に耳を傾けてほしい。少し見方が変わってくるのではないだろうか(BPD Experience のページで障害者本人の体験談を含め多くの示唆に富む解説を聞くことができる)。

 

 


Borderline Personality Disorder Resource Center | NewYork-Presbyterian Hospital

 

The BPD Experience | Borderline Personality Disorder Resource Center