おっさん化したおばさんの独り言

おっさん化したおばさんのとりとめの無い独り言です

50歳過ぎは神様からのプレゼント

最近、いろんな事を考える機会が多くて、自分の生き方を振り返ってばかりいる。

友人が天に召された。私より若い40代。すぐ近くの病院に入院している間、数回お見舞いに行った。その時に話した色んなことを、気がつけばぼーっと思い出している。二人とも若かった。夜中の研究室、ケラケラ笑った事、思い出話に花が咲いた。「あの時代が私にとって一番楽しかった」彼女は言った。あんなに元気いっぱいの彼女が本当は沢山の苦悩を抱えていたなんて私はちっとも知らなかった。ありがとう、と言って、彼女は私の前から姿を消した。

 

これまで多くの患者さんを見送ってきたけれど、今の私の年齢層だった方も多い。命を終えるには早いけれど、でも、当時は少なくとも私よりは年上だった人々。そんな年齢になったのだなとしみじみと思う。

40代~50代だけでなく20代の患者さんも見送った。

帽子を目深にかぶった男の子のひょろっとした後ろ姿にドキッとしたことが何度かあった。亡くなった元患者さんに似ていたからだ。担当医として一定の距離を持って治療のお手伝いをさせてもらったが、改めて、どんな気持ちで彼は一生を終えたのだろうかとしばし思いを馳せる。命は平等と人は言うかも知れないが、若い人の死がとりわけ辛かったのは偽らざる気持ちだった。

 

同窓会名簿も黒塗りの名前が少しずつ増えていく。

残念ながら、黒塗りはこれからも着実に増えていくのだろう。減ることは絶対にない。次は私の番かも知れない。

 

何だかんだ言っても、50過ぎまで生きてこられた事は、それだけで幸運の連続だった。悲しい事、辛い事、悔しい事、腹が立った事、残念だった事、いろいろあったにしても、命を取られる事なくここまで来た。ちょっとした運命のいたずらで、どこで死んでもおかしくなかったはずなのに、上手にそれを避けてこられたわけだ。自分で自分を不器用だなんて思っていたけれど、こんな風に考えると、案外器用に生きてきたんだなあと思う。

 

素直にラッキーだったと思う。50歳過ぎまで生きられない人達が沢山いる。50歳で一度人生が終わると考えれば、今の時間は神様が気まぐれでくれた私へのプレゼント。

 

プレゼントに感謝しながら明日も一日頑張ろう。