おっさん化したおばさんの独り言

おっさん化したおばさんのとりとめの無い独り言です

アジアからの留学生 1

留学生との思い出をぼちぼちと(30年前の話です)。

今日は、アジアからの留学生について少し。

 

留学生会館での生活は快適だった。若かったからかも知れない。

色んな人が一緒に住んでいて、毎日が楽しかった。面倒くさいなあ、と思うことは、正直言ってなかったわけではないが、少なくとも「寂しい」と感じたことは一度も無い。毎日が修学旅行みたいなものだった。色んな話をした。勉強の話、政治の話、恋の話、祖国の話、人の噂、その日の出来事、日本に来てビックリしたこと、本当に色んな話。

 

タイから来た可愛らしい女性がいた。農学部大学院生、綺麗な日本語を喋る明るい留学生だった。日本での生活についてそれほど困った様子もなく、ほとんど手助けをした記憶がない。しっかりしていて友人も多く、他国の留学生達とも仲良くできていたためだろう。

 

彼女の研究室を訪ねた時の事を鮮明に覚えている。

彼女は昆虫の研究をしていた。樹木につく害虫の研究で、標本箱には虫ピンで刺された小さな虫たちが綺麗に並んでいた。

思わず「うわ」と言うと、彼女はにこにこしながら言った。

「私、死んだらきっと地獄に行くね。ひどい事してるでしょ? 残酷よね」

一匹ずつピンに刺された虫たちが丁寧に並べてあって、ピンの中央に位置する虫たちの高さが綺麗に一致していた。細長いのや丸いの、やっとピンが刺せるぐらい小さいの、ちょっと大きいの。小さな白い紙に一匹ずつ丁寧な字で学名が記されていて、日頃標本に馴染みのない私には新鮮な世界だった。

「ここにいる虫たちは、いい虫もいるし樹木をダメにする虫もいる。木が枯れると私達人間が困るでしょ。でも、虫も生きてるから、本当は可愛そうね。最初は、こんな事することに、とても抵抗があった。今は慣れたけど、時々、酷いことしてるなって思う。私死んでから地獄に行く、仕方が無い」

 

彼女は両親に「学校の先生になるために日本で勉強をする」とウソをついて日本にやってきた。どうしても日本に来て勉強したかった。

「お父さん、お母さんが、私が本当は何をしているのか知ったら、きっと泣く。病気になるかも知れない。だからずっと言えない」

宗教上、どんな小さな生き物も殺生は許されない。そんな環境の中で育ち、死んだら地獄へ行くことも覚悟の上で、日本へ来て研究をしている。

こんな可愛らしい彼女のどこに、そんな強さがあるのだろうと感心した。

 

 

フィリピンから来た留学生たち。人懐こい人が多く感性も日本人に似ているのかな、多くのフィリピン人留学生達と仲良しになった。

クリスチャンがほとんどで、大抵の留学生の部屋には、イエス・キリストの絵が貼ってあったり、マリア様の像が飾ってあったりした。話をしていても、しょっちゅうキリストの話が出てくる。

 

フィリピン人は家族を非常に大切にする。時にそれが悲劇に繋がる。

当時、景気の良かった日本と発展途上のフィリピンでは、通貨の差が大変大きかった。

スカイプを使った英語学習が現在盛んであるが、フィリピン人が英語を母国語としてでなく外国語として習得しているため教え方がうまい、人懐こい性格でありサービス業に向く、という理由以上に、人件費が安く済むため格安でサービス提供できる、というのが人気の秘訣だろう。今でさえそうだ。30年前は、もっと経済格差があった。

 

国費留学生たちのうち、日本政府からの補助金の一部を母国に送金している留学生は少なくなかった。月約20万円という支給額は、住居費、食費、参考書等学習に必要な費用として考えると妥当な金額だろう。留学生会館は普通のアパートに比べると安価であるため、住居費を節約することができる。月5万も送れば、祖国では大変な金額になる。

一方で、1円も送金しない、という留学生もいた。「日本政府がボクの学習のために出してくれているお金だから国に送るのはルール違反だと思う。特に、ボクの国は貧しいし、お金を送れば町中の噂になってろくな事にならない。日本でもらったお金はボクは全部日本で使って国に帰る」

一つの立派な考え方だと思う。その時は、なるほど、と思っただけだったが、彼の考えが非常に真っ当であることを知るのはもっと後になっての事だった。

 

留学生が母国の両親に送ったお金を巡って、親族内で激しい争いになり、それが原因で精神を病み卒業できずに帰国していった留学生がいた。要求される送金額もエスカレートしていったと聞いた。とても優秀で優しい性格の留学生だったが、二国間の通貨格差があれほど大きくなければ心穏やかに研究できたのではないかと残念でならない。私にとっても大変ショッキングな出来事だった。

 

 

マレーシアからの留学生達は、おしなべて大人しい印象が残っている。勤勉で羽目を外すこともない。

男子学生は他のアジア諸国からの留学生とあまり変わらないが、女性(イスラム教徒)は黒いヒジャブをまとっているため、構内でも目立つ。

フィリピン人留学生が自分自身や家族のこと、学問のこと、その他いろんな話をしてくるので国を隔てて友達になれたのに対し、マレーシアからの留学生とは、そこまで親密になることはなかった。普通に会話はするが、個人的なことはほとんど話さない、特に、恋愛の話なんてしたことなかった。宗教の違いかも知れない。あるいは、たまたま当時、留学生としてやって来ていた人個人個人の性格だったのかもしれない。

 

インドネシアからの留学生たち。地域のお祭りでガムランの音楽に合わせた民族の踊りを披露してくれた。濃い化粧をし、金属の装飾物がたくさん付いた冠を頭に乗せ、10本の指を反り返らせて踊る独得の雰囲気は人々を魅了した。

優しい性格の人が多かった。男子留学生の書いた日本の自然を詠った詩がとても繊細で驚いた。外観からはわからない高い感性。

大学院生だけでなく、学部生も何人かいた。日本語をマスターし、日本人受験生と一緒に大学入試を突破した優等生たちだ。大学院生の留学生たちは私と同年代か年上になるが、学部生は19歳とか20歳。留学するためにどれほど真剣に学習してきたのだろうと思う。

 

 インドから来た留学生たち。巻き舌の独得のアール(r)の発音と早口の英語。カースト制度のトップの人と、中間階級の頭の切れる学生が混在していた。カースト制度は留学先でも健在で、みなでカレーを作って食べる時も、偉い地位の留学生は何もしなかった。カレーを作るのも後片付けも、他のインド人留学生がやった。暗黙の了解のようだった。

 圧倒的多数は中間階級の留学生。カーストトップの人のおっとりさはなく、どこででも生きていける逞しさが彼らにはあった。

ヘルメットなしで原付バイクに二人乗り、しかも免許証不携帯で走行中に警察官に呼び止められた。違反のオンパレードだったにも関わらずお咎めなしで済ませている。どうやったか。

警察官の問いに、"What? " で返し、ジェスチャーを交えて日本語が理解できない振りを最後まで通した。警察官が免許証は? とか、パスポートは? とか、頭を指さして、ヘルメットは? とか聞いてくるたびに、大げさな身振り手ぶりに早口の巻き舌英語でまくしたてた。警察官が一生懸命、ジャパニーズイングリッシュを駆使して言いたいことを伝えようとすると、容赦なく、あなたの英語はさっぱりわからない、と早口英語で遣り込める。20分ほど粘ったところでとうとう警察官が諦めたそうだ。もう行っていい、と言われるや、再び違反の二人乗り、ノーヘルメットで帰ってきたと言う。ちなみに彼の日本語は非常に流暢である。

 

シタタカで、押しの強い彼らが私は少々苦手だったが(みんながみんな押しが強いわけでもなかったが)、彼らに教えられる事は少なくなかった。競争の激しいインドでは日本人のようなお人好しは生きていけないよと何度も言われた。自分に有利になるように交渉する圧倒的な力は見習うべきものがある。

 

貧しい国での悲哀を彼らは誰よりも知っている。チャンスは絶対に逃がさない。

裕福な家庭に育ったブラジルからの留学生が日本に来て初めて挫折を味わった。その留学生をシタタカなインド人留学生が一生懸命慰めた。

「君は、今まで甘やかされて育てられ何不自由なく暮らしてきただろう? いいかい? 人間はみんな大きなキャンディの缶を抱えて生まれてくるんだ。缶の中にはおいしいのや苦いの、色んなキャンディがいっぱい詰まっている。おいしいキャンディから食べる人もいれば、苦いキャンディから食べる人もいる。君は今まで甘くておいしいのばかり食べてきただろう? だから缶の中には苦いのが残っちゃったんだ。それを今食べてるんだよ。でもね、苦いキャンディを全部食べ終わったら、次はまた、新しい缶を開けることができる。だから頑張って今を乗り越えるんだ。次の缶にはまたおいしいキャンディが入っているよ」

 

ヒンドゥー教徒にとって牛は神聖な存在である。彼らは牛肉を食べない。。。と思っていたら、皆、堂々と牛肉、豚肉を食べているではないか!?

「お肉、食べていいの?」と聞くと、返って来た答えは、

「僕たちは今、日本にいる。日本には神様いない。だからOK」

「ええっ? だって、遠くから神様見てるでしょ?」

「いいえ、見てない。インドでは肉は食べない、日本にいる時だけ。それでいい」

実は、留学して真っ先にインド人留学生先輩から洗礼を受ける。これは○○だ(牛肉でない何か)とだまして牛肉を食べさせるのだ。「うまいだろ? 実は牛肉なんだ」と言うと、大抵仰天するそうだ。なんて悪い先輩たち!! 最初は腹を立ててた新米さんも、次の年には後輩インド人留学生を騙して楽しんでいる。

敬虔なイスラム教徒たちは、日本に来ても、自分の宗教を捨てない。研究室だろうがどこだろうが、敷物を敷いて、時間になるとお祈りを捧げるし、断食だってちゃんと遂行する。それなのに、インド人の信仰心ときたら、何てことなの? 

 

もしかしたら、これが、彼らの環境適応力の高さの秘訣なのかも知れない。シリコンバレーでも大学の研究室でも、彼らはそこでのやり方に素早く馴染み、きちんと成果を残し、生き残っていく努力をする。

 

インド人留学生が弱音を吐いた所を見たことがない。経済的には決して裕福でなかったはずの彼らが、留学という、成功への一歩を踏み出す切符を手にするために、祖国でどんな思いをし、どんな努力をしてきたか、私はインドに行ったことがないので想像しようにもできないのだが、彼らの逞しさと時折見せてくれた果てしない優しさは、飢えて死んでいく人が隣りにいる世界を知っていたからこそなんだろう。

 

まだまだアジアから来た留学生の話題は沢山あるが、今日はこの辺で。

 

 

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昨日、この記事を書き、アップしようとしたら、イスラム教過激派による日本人人質事件の速報が飛び込んできた。それでアップを先延ばしすることにした。

私の知る「イスラム教徒」は、真面目で優しい元留学生ばかりで、過激派の人達を私は直接知らない。もちろん留学生は日本に留学に来るぐらいだからどこの国の人だろうと親日派ばかりだろうし、存分に学問ができる、ある意味恵まれた人々であっただろうことは間違いない。そういう意味では偏った見方をしている可能性はある。それでも私の中のイスラム教徒は、私が直接出会った人々であり、彼らが平和主義者であることはずっと肌で感じてきたことであった。

多くの敬虔なイスラム教徒の方たちが過激な一派と一緒くたにされてイヤな思いをしませんようにと心から願う。

 

アップ先延ばしついでに、バングラデシュからの留学生の思い出を少し。

家族連れで来られていた留学生。工学部大学院で研究し、奥さんと二人のお子さんの四人家族で留学生会館の家族室に住んでいた。

食事に何度が呼ばれてお邪魔したことがある。部屋には最低限の物しか置かれていなかった。質素な部屋そのもの。部屋を自分色にごちゃごちゃ染め上げる留学生も多かったが、彼の部屋には備え付けの家具とカーテン以外何もなく、実に広々としていた。

奥さんと留学生が二人で作った手料理をおいしく頂いた。

お子さんが本当に可愛らしく、特に目がぱっちり、睫毛なんか付け睫毛みたいに長かった。一人は3~4歳、もう一人は5~6歳だったと思う。下のお子さんを抱っこさせてもらったら、しっかり抱きついてきて、当時独身だった私は、こんな風に全幅の信頼を寄せて抱きついてくれる子供のお母さんを羨ましく思ったものだ。

 

医学部にも何名かバングラデシュからの留学生がいた。卒業後、研究室で一緒だった留学生は、本当に真面目で、丁寧な仕事で研究成果を上げた。

母国の大学を卒業し、日本へは研究目的の留学だったため、研究と平行して日本語の習得をせねばならず、大変だったろうと思う。ベッドの上の天井に日本語の単語をびっしり書いた紙を貼り付けていると聞いた。研究も一生懸命だったが日本語の上達も速かった。

勤務先でもバングラデシュ人医師と一緒だったことがある(日本の大学を卒業し日本の医師国家資格を有していた)。日本人のカルテよりずっと読みやすいカルテだった。他科の医師へ紹介状を書いて診察を依頼すると、医師によってはミミズのような字で返書をくれて読めないことがある(最近はパソコン入力が多くなったので、そんな苦労は少なくなった)。彼の返書は難しい漢字も入ったきちんとした日本語で書かれており、とてもわかりやすかった(医療用語の漢字の中には、読み方もわからないような難しいものがある)。日本人より日本語ができると病院内で評判だった。患者さんがどう思うか正直心配だったが何のことはない、「優しい」と評判が良かった。

 

ラマダン(断食月)にはいると、会館では他国からの留学生達もパーティを控えるなどしてイスラム教徒の方達に配慮する。ラマダンの留学生達は、あと何日、あと何日、と笑いながら数えて過ごしていた。明けると、楽しい食事会。断食していない私も誘ってもらえた。と言ってもラテン系の人達のような派手なものではない。普通よりちょっと贅沢な食事を大勢で食べる。それだけ。断食後は精神的にも肉体的にもとても調子がいいらしい。

 

 

私は自分では無宗教だと思っているが、神頼みをするし、お盆にはにわか仏教徒になるし、科学の神様を大事にしたいと思っているし、クリスマスには子供と一緒にケーキを食べるし、実を言うとこっそり星占いも好きである。何と節操のないことであろうか。しかし、モヤモヤとした形であっても、私の中に信条があり、日本人独特の道徳観念を植え付けられて育っている背景からしても何らかの「宗教みたいなもの」はあると思う。

宗教は個人の生き方を支える一方で、自分たちの周囲をすべて敵対視してしまうようになるととても怖いと思う。プラスのエネルギーも強いけれど、マイナスに作用した時のエネルギーも計り知れない。

 

今回の事件が大きな争いに発展しませんように。過激派でないイスラム教徒の方達がとばっちりを受けませんように。

 

 今回はこの辺で。