おっさん化したおばさんの独り言

おっさん化したおばさんのとりとめの無い独り言です

医学部再受験までの道のりと受験勉強

今回は、再受験に向けて私がどうやってきたかをつらつらと。

(留学生の話は、また今度)

 

私の最大のネックは、親の同意が得られなかったことだった。だから誰にも再受験について相談していない。

誰かに相談したところで、前向きな回答が得られるとは考えられず、じゃあ、後ろ向きの回答をもらって諦められるか? と自問した時、それはない、と思った。だったら、それが答えではないか。相談する必要はない。医学部へ行く、どころか、受験することですら実現できない可能性が高かった故、再受験を考えていることも、ほとんど誰にも言わなかった。

 

ほとんど、というのは、例外がいたから。

短大在学中、2年の夏休みと3年の夏休み、私は、基礎講座の研修室に入り浸り、基礎の勉強を徹底的に行った。これは、医師でない生き方を模索するためで、教育熱心な教授にお願いして実現した。朝早くから遅くまで一日中、研究室で過ごしたり、カンファレンスに参加させてもらった。医学部再受験、という世界から目をそらすために私なりに必死だったのかも知れない。

2年の夏休みの後半は、先輩が一人合流した。とても元気のいい先輩だった。今振り返っても楽しい思い出だ。

ラジオカセットでカーペンターズをかけていたことを思い出す。

 

その先輩と勉強の内容だけでなく色んな話をするようになって、この人は医学部受験を考えてる、と感じた。

それで、「先輩、医学部受けたいって思ってるでしょ?」と聞いた。

その時の驚いた顔ったらなかった。

「え? えぇ? な、何でわかった?」

その時、私は初めて、再受験を考えていることを口にした。

「私とおんなじだから。」

先輩は、医学部を受験したかったそうだ。偏差値が足りず、あきらめて一旦こちらへ来たけれど、やっぱり諦めきれない。再受験を考えてる、ということだった。

彼女も胸のうちに熱いものを秘めていて、その思いは、その後二人で共有することになった。私の心のうちを知っていたのは、彼女一人だけだったし、彼女の思いもまた、私一人しか知らなかった(はずだ)。

 

医師という仕事を諦めるために、研究室に入って専門の勉強を一生懸命やったわけだが、結果として、医師への憧れがますます大きくなったのは皮肉なことだった。それは、教授について回って臨床の現場を見たこと、そして先輩と話して、自分の気持ちにまた火がついちゃったことも関係しているだろう。

 

在学中は自分の生き方を徹底的に考えた。その道で誰にも負けないプロとして生きていく、それも選択肢の一つとして加えた。しかし、やっぱり「再受験」することは諦められずにいた。

就職先を企業にした。病院勤務が当時就職先の花形だったが、あえて企業にしたのは、自分の時間を確保するためだった。日曜日や勤務時間外を勉強時間にあてるために。それから、病院勤務に比べて給料がいいのも魅力だった。

 

短大卒業と同時に訪ねた所がある。受験予備校だ。

付け焼刃で勉強して何とかなった短大受験とは違う。どうやって医学部に合格するか、仕事をしながらの受験は全く自信がなかったので、いつかは仕事を辞めて受験勉強に専念したいと思っていた。だが、それまでの間、どうやって過ごしたらいいだろう? とにかく、専門家に聞いてみようと思った。

 

恐る恐る予備校のドアを開けた。

事務室のような所にいた人は、予備校の先生だったんだと思う。

「あのー、ちょっと相談させて頂きたいんですけど。。。」

こんな単刀直入に切り出して、まさか即答してもらえるとは思っていなかった。

軽くシッシッとあしらわれるか、身元などを聞かれるか、別の時間帯に来いと言われるか、あるいは、、、一体どういう対応をされるだろうかと思っていた。

 

ちょうど、私が尋ねた先生が、(授業前とかではなくて)手が空いていて、かつ、とても心の広い人間で、、、、とにかく、タイミングといい、その先生の答えの抜群さといい、あれは、本当に私にとっては奇跡の時間だったと思う。

 

「何でしょう?」

「あのー、医学部受験を考えているんですけど、お金がないから今年から働く予定で、で、お金が貯まったら浪人する予定です。それで、えーと、それまでの間、一体どういう勉強したらいいのか、それを伺いたくて。。。ずうずうしくてすみません」

 

そんなことをしどろもどろに言ったと思う。

その答え。

「あー、だったら英語やったらいいですよ。他の教科は浪人してからどうとでもなりますけど、英語はねー、身に付くのに時間がかかりますからねー」

私の名前も聞かない。本気で医学部を受けるのか? みたいな説教じみた事も言われない。スパッと、核心を突く答えを簡単明瞭に。今考えてみたら、先生も忙しかったんだろうね。さっさと答えてさっさと切り上げたかったのかも知れない。でも、この先生に巡り合って良かったと思う。貴重なアドバイスをもらった所で、折角だからもう一押し。

「あー。英語ですか。はい、ありがとうございます。あのー、数学なんかも心配なんですけど。私、高校で数IIIとか勉強してなかったので、一から勉強することになるんですけど、何か少しやっておいた方が良いような気がしていて。。。」

昔の数IIIは、分野としては微分積分になる。今はどういう分け方になっているのだろう。

 

実際は、数学どころか、社会だって、国語だって、理科だって、自信のある科目は何一つなかった。

先生の答え。

「数学? しなくていいよ。履修してないんだったら余計に自分で勉強したら効率悪くて時間の無駄でしょ。浪人してからで間に合うから。でも、英語は間に合わない」

 

すごいねー。

これ、もし、母校の先生の所なんかに相談に行ってたら「オマエなー、何寝ぼけてんだ、ぼけ。オマエみたいなんが通るほど医学部は生易しくないんだよ。一昨日来やがれ」とでも言われて追い返されただろう。

 

この私に、数学は浪人してからで間に合う、と断言された。

 

それまで私は親から一度も褒められたことがなかった。オマエはダメだ、とばかり言われて育った。

見ず知らずの予備校の先生から、背中を押された気がした。

よく考えてみると、この先生は、高校時代の私の成績をご存知ない。医学部を目指すぐらいだから勝算あってのことだろう、ぐらいの気持ちだったに違いない。

もしも私の高校の頃の成績をチラとでもご覧になったら、違った答えになっていたかも知れない。。。

でも、なぜか当時の私はそうは考えなかった。

浪人して予備校に通いさえすれば間違いなく医学部に合格するはず、と思った。

単純だったんだなと思う。単純で良かった。

「合格するだろうか?」なんてことは考えたこともなかった。

「合格するためには、どうしたらいいだろうか?」それしか考えなかった。

 

予備校の先生からの答えは、時間にしたら5分ぐらいのものだったけれど、答えが得られるかわからない状態で、それでも電車に乗って訪ねて行った価値は計り知れない。

就職して私は英語以外の参考書は一冊も買っていない。予備校の先生の言う通りにした。日曜や平日の夜はひたすら英語だけをやった。

実際には、実家での家事の多くが私の仕事だったので、平日の夜と言っても自由に使える時間は少なかった。一番貴重な時間は、職場までの通勤時間。車通勤だったので使えるのは耳だけ。カセットテープのついた教材を買い、ひたすら聞いた。どんな学習法が最適なのかわからないまま、とにかく、一歩でも二歩でも先に進むために、私はカセットで英文を聞き、自宅では、わからない単語を小さな紙切れに書き、翌日職場に持っていき、みんなにお茶を淹れたり、お湯呑みを洗う時間を沢山作って、給湯室で手を動かしながら水道の横に紙を置いて、ぶつぶつ言いながら単語を覚えた。(もちろん、最初からそんなことをしたわけではない。最初はそれこそ必死で仕事を覚えることに集中した。)

 

ところが、就職してしばらくすると、面白そうな仕事の話がやってきた。私が短大2,3年の夏休みに必死で勉強した分野だった。心が動いた。もう一つ上の資格を目指して頑張ろうと思った。実際に部署が変わって、真剣に専門の勉強をした。ところが、会社の方針で、私には上を目指すことができない、と言われた。理由は私が女だから。ショック。。。

新しく立ち上がった部署には3人が配属されたが、私はそこでお手伝い的な仕事をするだけだった。あとの2人は男性で、そのうちの1人が会社のお金で勉強させてもらえることになった。上司からは、彼が来年試験に合格したら、今度は君の番だから、と言ってもらえた。

 

私は、独学でそちらの勉強と、英語の勉強を平行して行った。一つ上の資格取得は1年間待つことになった。次は私の番。そう思って。英語の勉強は単なる惰性になっていた。それでも、通勤の行き帰りのリスニングと、単語や英文を覚える訓練だけは続けた。もちろん、運転中すべての時間を音声に集中できるわけではない。信号で止まった時とか、踏切とか、混雑していて車が動かない時などしか音声は耳には入ってこない。でも、片道30分近くかかったから、積み上げると結構な時間になる。同じテープを何度も何度も聞いた。テープは入れっぱなしだったからエンジンをかけるとすぐに英語が流れてくる。だからとりわけ「英語を必死に勉強した」という感覚はない。本当に惰性で続けていただけだった。

 

因みに、使ったのは、一つはこちら。CDって書いてあるけど、当時はカセットだった。英文をほぼ丸暗記した。

アメリカ口語教本 入門用 新訂版 CD3枚組

 

もう一つは、当時出たばかりのアルクのおなじみ「English Journal」。これもカセットがついていたので。中身が斬新で毎月楽しみだった。高校時代は英語零点だった私には難しすぎる内容だったけれど、憧れだけで聞いていたような気がする。今振り返れば、決して適した教材だったとは言えないと思うが、当時、勉強の仕方もよくわからなかったし、モチベーションアップに貢献してくれたし、何より、医学部に入学して留学生会館で生活するようになって、実用面でその力を発揮してくれたので、まあ、これはこれで結果オーライということで。

アルクが創刊されてから間もなく、非常に充実した英語学習雑誌が売り出された。二ヶ月に一回発売で、とても楽しみにしていたけれど一年ほどで姿を見なくなった。出版社が頑張りすぎて、採算が合わなかったのかも知れない。本当に好きな雑誌だった。アルクだけは今も大活躍で、あの時から一緒に年を取ってきたような気がする。たぶん多くのアルクの社員さんよりも私の方が会社の歴史を知っていると思う。

 

 

一年我慢するはずだった専門の勉強。ところが、一年で済まなくなった。会社のお金で勉強させてもらっていた彼が、試験に落ちちゃったからだ。彼にもう一年出資する、という話だった。計画が大きく狂った。

 

現実を見るのが怖かったのだと思う。自分は一体どこへ行こうとしているのか。

親との戦いにも疲れが出ていた。一つずつ年を取っていく、再受験などと言っている自分が的外れなことばかりしている人間のような気がしてならなかった。同期の友人達は病院で専門の技術を着実に身につけている。それに引き替え私は。。。

 

何もかもが宙ぶらりんだった。医学部受験はいつの間にか遠くへ去った。次の資格試験はまだ勉強さえさせてもらえない。独学だけ。そんな中、私は別の資格を取る方向へ走ってしまう。最初に取ろうと思った資格は、数日間の講習を受けて最終日に試験を受ければ、ほぼ間違いなく資格がもらえる。真面目に話を聞き実習を受けさえすれば試験自体は難しくない。その資格を取ったら、次は関連する資格を次々に取ってやろうと、大量に専門書を買い込んだ。いつの間にか私は資格マニアになっていた。

 

講習会場に向かった。新幹線に乗ってぼーっと外を眺めて過ごした。追い立てられるような生活から初めて解放され、車窓の外を流れる景色をゆっくり楽しんだ。新幹線の中で読む本もバッグに入れていたけれど、結局それを出すことなく、窓の外を流れていく畑や青い空や、遠くをゆっくり動く山々を何も考えずに眺め、本当に初めてリラックスした時間を持ったと思う。

 

1時間近く呆けていただろうか。突然、雷に打たれたような感覚が走った。

「今、辞めないと、一生できなくなる」

本当に、そういう声がした。

心臓が高鳴った。

「いくつ資格を集めてみても、それは決して医師免許にはならない。誤魔化してるんだよね、私。本当にやりたいことを誤魔化すために、いくつもワケわかんない資格を取ろうと必死になってるんだよね。いつまでこんなことを続けていくつもり?」

そう考え始めると、動悸はいつまでも続いた。私は会場に着くまでに仕事を辞める決心をしていた。その資格までは取得したが、次の資格を取ることはもう考えなかった。

 

今年受験に落ちる浪人生達と一緒に4月に予備校に入学しよう。今を逃したら二度と受験できないだろう。年齢的にも精神的にも。2年間節約してためた貯金もそれなりの金額になっていた。機は熟しすぎるほど熟していた。

 

この決心は大正解だった。資格を取って社に戻ってみると、待っていたのは上司の次のような言葉だった。

「申し訳ない。○○がまた試験に落ちちゃってなあ。今年は君の番だって言ったけど、あと一年我慢してくれないか」

 

私は仕事を辞めた。

辞職して間もなく、ある所から電話があった。専門の勉強をするために海外に留学してみないか、という話だった。国から給料をもらいながら存分に勉強させてもらえるという有り難い話だった。会社で月一回行われていた勉強会で、講師をされていた有名な先生からの話だった。

すでに医学部受験モードに入っていた私は、この話をお断りした。

 

しかし、実は、この話があったからこそ、私は医学部に入学することができた。

医学部に合格した時、母が不機嫌だった話は以前に書いた通りだ。

母が最終的に入学を許可したのは、私が海外に行ってしまうかも知れないと、危惧したからだ。二つを比べて苦渋の選択で入学を許可したにすぎない。もちろん、父が説得したことも母が折れた理由だったろう。この時、この話をもらっていなかったら、私は、医学部に合格しても、入学はできなかったんじゃないかと思う。もちろん、受験勉強を開始する時点で、合格してもなお、母が入学を許さないかもしれないなんていう状況を、私は想定していなかった。受かれば当然認めてくれるだろうと考えていた。

 

予備校の勉強は面白かった。名物講師がいっぱい。今まで我慢してきた「受験勉強」への意欲、押さえつけられていた欲望の重石が取り除かれて、貪るように勉強した。

 

寝る、食べる、お風呂、トイレ以外は全部勉強時間。

電車の中は立ったまま英文を覚えた。次の駅までに、ここまで英文を覚える、なんて具合にタイマー機能が働くから、電車は集中できる勉強部屋だった。電車を降りて予備校まで歩く間、ぶつぶつ覚えたばかりの英文をつぶやいた。

 

勉強方法について私は特別な事は何もしていない。

与えられた教材で予習、授業、復習を行う。中学生、高校生が当たり前にやっていることを遅れてやっているだけ。受験に不必要な科目を勉強しなくていいので、大層効率はいい。中・高校時代の間延びした無駄な時間を1,000倍凝縮したような時間を送った。

 

就職してから英語をやっていたのは本当に助かった。高校ではあれだけひどかった英語だが、予備校に入学した時点で英語だけは偏差値60以上だった。まんざら間違った勉強法でもなかったようだ。入学後はもちろん入試に向けた勉強に切り替えた。試験を受けるたびに面白いように偏差値は上がっていった。

 

数学なんかに手を出さなかったのも正解だったと思う。授業を受けて授業中にポイントを理解した上で何度も似たような問題を解く。実に効率よく理解が深まった。あの効率性は自分一人では無理だった。また、数学はじっくり取り組む時間が必要で、気持ちがワサワサしていた就職中には絶対にそんな時間は作れなかった。もし、数学に手を出していたら、きっとわかったようなわからないような中途半端な状態で浪人生となり、逆に変な知識が邪魔になったのではないかと思う。

数学は、最初は点が取れなかったものの、問題数をこなすうちに順調に成績が伸びた。微分積分は最初は苦労したが、一旦理解すると、私の一番の武器になった。

 

 焦りはあった。やるべき事が多すぎて。でも、だからこそ、少しの時間も無駄にできず、集中できたんだと思う。

 

国語はそんなに力を入れる必要はなかったけれど、とにかく国語の先生の授業が圧巻で、立ち見まで出るほどの人気だった。「国語」という科目が、実はそんなに奥深く面白いものだということを私はそれまで知らなかった。必要以上に国語の授業を受けた。私の息抜きの時間だった(勉強の息抜きが勉強なんて変だけど)。

 

基本的には予備校のテキストを中心に学習した。他の参考書はあまり使っていない。予備校のテキスト以外で私が一番お世話になったのは、矢野健太郎先生の「解法の手引き」。ぼろぼろになるまで使った。「解法のテクニック」は買わなかった。厚すぎて無理だと思った。

 

先に書いた電車の中で覚えた英文は、駿台受験シリーズの基本英文だったと思う。アマゾン探したら、これがあったので、たぶん、これの元祖みたいなものだったんだろう。薄い本で、これもぼろぼろになった。

新・基本英文700選 (駿台受験シリーズ)

 

ぼろぼろと言えば、英語の辞書。本当に長い時間を予備校で過ごしたので、持って行く学習書が沢山になる。講談社から文庫本が出ていて、感激した私はそれを購入した。なかなか中身も充実していてコンパクトだ。それに安い! 私のお気に入りで、本当に愛用させてもらったが、いかんせん、文庫本なので表紙も薄い。表紙と裏表紙が取れかけて1,2度補強したが、やがて外れてしまい、それだけでなく最初の著者の挨拶なんかも取れちゃったけど、幸い、辞書本体部分は生き延びていたので、最後まで使い通した。この辞書はずっと私の相棒だった。大学時代は同級生に驚かれた。流石に、あまりにもぼろぼろになったので、社会人になってから、同じ辞書を再度購入した。

 

私は、本は使い倒すものだと思っている。本をとても大事にする人にとって、私のような本の使い方は許せないかも知れない。

単語の本は、買ってすぐにバラバラにした。項目ごとにホチキスで留め、一冊が10冊ぐらいになった。ホチキスで留めた物をポケットに入れ(二つ折りすることもあった)、どこへでも持ち歩いた。上着のポケットに入れていれば、すぐに取り出せる。人の多い電車の中でごそごそ鞄の中をかき回す必要もない。手ぶらでトイレに行った時だって、単語を一つ覚えられる。単語の本は覚えるためにあるわけで、覚えてしまえばもう必要ない。バラバラにすると失くす可能性はある。でも、どうしても必要になったら、また新しいのを買えばいい。そう思っていた。結局、買わなかったけれど。単語帳を作る時間が惜しかったから、既製の本を単語帳にした、と考えてもいいかも知れない。

今は、スマートフォンがあるし、色んな便利なアプリだって揃っている。昔と比べて勉強はずっとやりやすくなっているんじゃないかと思う。アナログ時代に育った私には、使いこなす自信がないけど。

 

予備校が休講の時は、図書館や色んな公共の場を利用した。学習室を備えた図書館は人気スポットで、朝早く行かないと場所が無くなってしまう。予備校に行くのと同じように朝早く出かけた。受験生が大勢いた。最近、図書館で勉強できるところは少ないんじゃないかな。そういう場所が複数箇所あっただけでも恵まれていたと思う。

予備校が休みだなんて親に言うと、何だかんだと用事を言いつけられる。家では集中できないとか、そんなレベルではなく、とにかく勉強するためには家から離れる必要があった。

 

こんな感じで、私の再受験物語はおしまい。

また、今度。