おっさん化したおばさんの独り言

おっさん化したおばさんのとりとめの無い独り言です

留学生との共同生活 ー 言葉の不思議

留学生会館とは本当に不思議な所で、日本なんだけど日本じゃない。

自分が一体何人(なんにん、ではなくて、なにじん)なのか、感覚がおかしくなってくる。

 

中国の留学生達の旧正月、私はパーティに招かれた。会館の1階は大きなフロアになっていて、話し合い、パーティ、卓球大会、各種の催し物ができるようになっている。ここには台所もついている。

中国人留学生がほぼ全員集まると圧巻だ。

一緒に餃子を作る。大量の材料、皮もみんなで一緒にこねる。

皮と中身、どちらが余るでもなく、ぴたりと量が一致したのには驚いた。

それにしても、こんな大量の餃子、本当に食べきれるのか。。。

 

日本では餃子と言えば焼き餃子。留学生達が作ったのは、水餃子だった。

準備をするまでは、みな、私に気を遣って日本語で話してくれた。

ところが、いざ、テーブルについて、お酒が入り、盛り上がりを見せてくると、もう大きな中国語があっちからこっちから飛び交い、時々、どっと笑い声が沸き起こる。中国語はチンプンカンプンなので、私だけ目をパチパチすることになる。

隣にいた一人が、私に同情してくれて、途中、ちょっとだけ通訳をしてくれたが、肝心の笑いの通訳まで到達する前に次の笑いの波が来てしまった。そして、通訳担当の彼が発言をしたのを期に、いちいち教えるのが面倒になったようで、一人取り残された。

大きな宇宙語のシンフォニーに包まれたまま、私は、ひたすら餃子を食べることになった。

 

中国人留学生が作った餃子は最高に美味しかった。

焼き餃子と違って沢山入る。油を使ってないっていうのもだろうけど、野菜がたっぷり入っていて重くないっていうのも理由の一つだろう。

 

言葉が全くわからない環境に身を置く、というのが、どういうことか、この時知った。私以外の皆が、同じ世界を共有する中、私だけが違う世界にいる。一緒に座っているっていうのに。

人間が言葉を作ったのは、まったくもって素晴らしいことだと心から思う。これで大勢の人と世界を共有できるのだから。

 

中国語、と言えば、中国人同士でも会話が成り立たない場面があって面白かった。いわゆる方言だが、日本でも、方言がわからなくて苦労する場面は多い。それが、広大な中国。余計だろう。

多くの留学生は北京語を喋っていた(らしい)が、全く北京語が話せない広東出身の留学生がいた。もういい年をしたおじさんだったと思うが、素朴で剽軽な性格で(農作業の途中で出てきたみたいな純朴な感じの人だった)、中国人留学生の間でも、他国からの留学生の間でも人気があった。同じ母国の人たちからは、しょっちゅうからかわれていた。彼の喋る中国語がわからないだけでなく、日本語もかなり独特でしかも早口、聞き取りづらかったからだ。

「しゅうさん、何言ってるか、ちっともわかんないよ」

そう誰かが言うと、みんなと一緒に本人もアハハハと声を上げて笑った。

 

さて、話は変わるが、日系南米人。ブラジルではポルトガル語が使われるが、ペルーやアルゼンチンはスペイン語である。ところが、彼ら彼女らは、普通に、お互い母国語で話している。不思議に思っていると、「相手の言葉は喋れないが理解できる(speaking は無理だが hearing はOK)」と言う。当時の私には新鮮な驚きだった。

 

マルチリンガルの方たちを、私は心から尊敬しているが、案外、第2外国語からの習得は、どんどん楽になっていくのではなかろうか。学習方法を確立しているだけでなく、少なくともヨーロッパ言語では語源が一緒である物が多いはずだからである。

 

第2外国語は強制的にドイツ語だったが私は赤点スレスレで合格した。ほぼ使えない(威張ってどうする!?)。もうほとんど忘れちゃったけど、「大学」が「ウニベルズィテート」だったことは覚えている。英語"University"  をローマ字読みしたら、そっくりじゃんっと感心したので、なぜかこれだけ頭に残っている。

 

そう言えば、私の大学では当時、解剖学はラテン語だった。ただでさえ暗記物が苦手な私、よりによって、何でラテン語。。。

系統解剖の仕上げに口頭質問があった。教授が目の前の神経や筋肉や骨を指さして学生一人一人に答えさせる。私の番。緊張の瞬間。名前を覚えていた、はずだったが、女性名詞だか男性名詞だかを間違えていたため語尾が違った、で、教授にそれを指摘された。心の中で叫んだ(どっちだっていーじゃないか!)。

具体的な名前は覚えていないが、男か女かで、「ナニナニラーレ」になるか「ナニナニラーリ」になるか、みたいな違いだったと思う。

 

脱線ついでに。

後日、教授に質問したことがある。(こういう質問をするのは、再受験者や、ちょっと変わり者、図々しい人間に決まっている。)

「今、もだえ苦しみながら覚えているラテン語の解剖は、一体全体、将来臨床で役に立つものなのでしょうか?」

教授の答えが秀逸だった。

「解剖学は学問です。大学は学問を学ぶ所であって、臨床に役に立つとか立たないとか関係ありません。専門学校じゃありませんから。基礎医学には基礎医学のプライドというものがあります。役に立つから勉強する、ではなくて、学問のために純粋に勉強してください」

 

その時、私は、ちっとも教授の言われる理屈を理解できなかった。単なる頑固じじいの屁理屈としか考えなかった。しかも、この言葉の前に、カチンとくる枕詞がついたのだ。

「どうしてこんな簡単なことが覚えられないのか、私にはそちらの方が不思議でなりません。授業中に大体覚えてしまえるでしょう? 試験前に、もう一度、サラッと復習すれば完璧ではありませんか」

 

要するに、教授は私に「オマエは馬鹿だ」ということを言いたかったのだ。これを直接言ってしまうのは可愛そうだから、長ったらしい説明をされたのだと思う。

読者の誤解を避けるためにも言い訳をすると、解剖学というのは「胃」とか「腸」とか「脳」とか、そんな大雑把な分け方では決して無く、私には解剖学の教科書が本当に「電話帳」に見えた。オタクにとっては究極の楽しみであっても、一般人にとって「電話帳」の丸暗記は苦行以外の何物でもなかった。

骨は単に長い棒ではなく、一本の骨にも(何も棒状の物ばかりではないが)、細かな凸凹やら、「スジ」みたいなものがある。それにいちいち名前が(しかも男やら女やらの区別がついたラテン語が)ついている。あぁ、いっそ、人間に筋肉や骨なんかなかったら良かったのに。本気でそう思った。

(そう言えば、私はすでに大雑把な解剖を勉強していた。それで国家資格まで持っている。でも、日本語だったし、骨のスジなんかは出てこなかった。。。と、どこまでも言い訳がましい私。。。)

 

脱線がえらく長くなってしまった。

当時は、理不尽だと思った解剖学だが、大学が純粋に学問を追究する所だというのは、今は多いに賛成するし、それが本来の姿だと思う。ただ、医学生の学ぶ内容があまりにも年々膨大になっていく中で、純粋に学問として楽しむ余裕が無くなっているのは、残念と言えば残念なことだと思う(もう試験を受けなくていいので、好き勝手言っている)。

 

留学生と言葉の話題に戻ろう。

 

インド人の日本語習得の早さには驚いた。ヒンディー語には発音がめちゃくちゃ沢山あって日本語は基本的に、あいうえお、の5音だけだから当てはめるのが簡単だって教えてくれた。語順も日本語に似ているらしい。ヒンディー語を学習したことがないので、本当かどうかは知らないけれど。目の前であの文字を書いてもらうと純粋に感動する。でも、私には、あんな難しそうな文字を習得する自信は全然ない(何を威張っているのだろう)。

出身国によって日本語習得の速さに差があり、かつ、特徴があるのは面白い。日本人にとって「アール」「エル」の区別が難しいのと同じだろう(と言っても、最近の若い人の英語は本当に綺麗だと思う)。

韓国人は「つ」の発音に苦労する人が多い。

「ひとつずつ」なんて言わせると、「ひっとちゅじゅちゅ」みたいにぐちゃぐちゃになる。

 

もう、思いついたまま書き殴っちゃってるけど、日本語習得の速さって本当に個人差が大きい。

ダントツ速いのは子供。小さな子連れで来てる留学生、親はたどたどしい日本語しか喋れないのに、子供は完璧な日本語。日本人の子供と当たり前に遊んでるし、当たり前に喧嘩する。少々英語を勉強したって人でも、英語で喧嘩するのって、結構ストレスじゃないかと思う。

 

大人では、社交的な人は速い。とにかく間違えてもいいから使う。日本語の先生から習ったばかりの日本語の言い回しを、早速会話の中に取り入れる。時々、とんちんかんな所でやたら難しい熟語なんかを使ってるのを聞くと、(ああ、昨日習ったんだな)、と思う。使い方がおかしいと指摘すると、しつこく聞いてくる。こういう人は上達が速いと思う。

 

折角日本に来ているのに、日本語が下手、を気にして、部屋に閉じこもっている日系人留学生もいた。帰国までほとんど日本語を習得しなかった。日本で育ったわけじゃないから日本語が下手なのは当たり前だと思うんだけど、日系人の中には家の中でお爺さんの日本語などに触れていた人もいて、そんな人と比べて喋れないのが恥ずかしかったんだと思う。語学学習(特に聞く、喋る)にプライドは邪魔だ。

 

多くの留学生が、大学や大学院での学習、専門の研究を始める前に、日本語だけを専門機関で学習してくる。徹底的に集中して学習してきた留学生は、本当に感心するくらい上手になっていた。死にものぐるいで勉強するからなんだろう。

 

 話がずれちゃうけど、日本の大学って授業も日本語だし、本当に日本語の知識がないとやっていけない場合が多い。これは、常々留学生から聞かされた日本の大学に対する愚痴のナンバーワンかナンバーツーだ。

これはなあ、しょうがない部分もあるんだよなあ。母国語で専門の学習までできちゃうのが日本のすごい所でもあるし。

 

ただ、ひどい科になると、日本語で論文を書け、と教授から言われるらしく(もう30年も前の事だから、今はいくら何でも改善していると思うけど)、「僕らは、日本語の学習に来たワケじゃない!! 専門の勉強に来ているのに何でだ、おかしいだろ。論文を書くレベルまで日本語の学習しようと思ったら専門の勉強する時間なんてないじゃないか。第一、日本語の論文書いて日本人以外の誰が読むのか? 母国の連中にもわかってもらえないじゃないか」という、普通に考えて、非常にまともな意見を熱く語られても、何もできない無力な私だった。

 

留学生会館に長くいると、こちらの日本語がおかしくなってくる。留学生からは「英語を使わずに日本語で喋ってほしい」という要望があった。尤もなことである。意欲があってよろしい。しかし、これが時々、すごく難しくなる。人に頼んでおきながら、自分たちは会話の途中からいつの間にか英語に移行している。英語で質問されて日本語で答えるのは、すごくストレスになる。言葉が出てこなくてフリーズする。「あんた達が無茶な事を私に要求するからだ」と切れたら、大笑いされて終わった。

喋る日本語も、友達に話すみたいに行かない。相手が理解できるように考えながら喋る。さらに、留学生独特の変な日本語に引きずられる。妙な日本語を喋る日本人になっちゃったじゃないか。

本気で悩んだ事があった。喋る日本語の一文が異様に短い。

「だいじょうぶ。私が行く。」

こんな感じだ。本当はどうして大丈夫なのか、長い言い訳や気持ちがあるのだが、それを全部省略して結論だけになっちゃったりした。普通に友達に喋るみたいに喋った方がいいのは十分わかっている。わかってはいるけど、そうしたらどうなるか。当然話が先に進まない。結論に辿り着かず、それどころか何の話をしていたのかも途中からわからなくなったりする。何度かそういうことを繰り返すうち、結局、喋り初めていきなり長いトンネルにゴーッと入って(ここは心の声で口から出てこない)、駅の手前でポッと出て来るみたいな裏技を使うようになり、私の日本語がおかしくなった。

 

お掃除のおばさんから「あんた、日本語上手やねぇ」と言われたことがある。

もうがっくりきた。

「あぁ、どうも、私、日本人ですので」

「あははは。日本語で冗談も言えるんやね」

「いえ。ホントに日本人です」

「ああ、日系人か。顔は日本人みたいやもんな」

「いえ、ホントのホントに日本人です」

もう、半ばやけくそ。

「ははは。わかった、わかった。でもな、ホントの日本人と、ちょっと違うんやわ。イントネーションがな。頑張って日本語勉強続けや」

 

留学生会館の1階のソファに座って新聞を読んでいた時、市役所だかどこだか知らないが、3人ぐらいお偉いさんがやってきた。「視察」というものだったのだろう。

にこにこ笑いながら、一人のおじさんが

「アンニョンハシムニカ」

と遠くから声をかけた。ソファには私しかいない。間違いなく私に挨拶されておられる(と、おかしな敬語を使ってみる)。

何と言うか、びみょーな気持ち(と、今度は若者言葉を使ってみる)。

「こんにちわ」と頭を下げた。

そうすると、また一人が

「アンニョンハセヨ」

と声をかける。

(こんにちわ、と日本語で答えたよね、私。。。)

でも、ふっと申し訳ない気持ちになる。

留学生会館に来たのに、日本人学生しかいなかったら。。。。

例えば、動物園にライオンを見に行ったのに、肝心のライオンがいなくて犬しかいなかったら、私だったら、それはもうガッカリするだろう。

正直言って、面倒という気持ちもあった、確かに。

何で日本人の私がここにいるのか、とか、どうしてガイコクジンがラウンジにないのか、とか、おじさん達はきっとモヤモヤした気持ちになるだろう。

 

それで、反則だとは思ったが、、、

「アンニョンハシムニカ」と頭を下げた。

すると、おじさん、大喜び。3人目がさらに

「シェシェ」と言う。

えぇっ? いくら何でもそれは違うだろう。

 

留学生が哀愁たっぷりに愚痴るんだよね。ボクは動物園の動物じゃないって。

ジロジロ見られたり、子供に指さされて「ディスィザ ペーン」なんて言われて悲しくなるとか。。。(さすがに今時そんな子供はいないだろうが)

その気持ちが半分だけわかったような気がした。

 

お偉いさん達から見た私は「アジア系留学生」で、「ディスィザ ペーン」の西洋人に対する態度とも違う、何だか同情を含んだ、それでいて馬鹿にされているような悲しい気分を味わったのは確かだった。

 

 

今日はこの辺で。